腹水病をしていた子ですが、上陸後5週間くらい経った頃から餌を食べ始めるようになりました。
それまでじっとしていたのが動き回るようになった頃合いが餌の食べ始めのタイミングみたい。
右後ろ足は足裏を向けたまま曲がっているのがデフォになってしまっているようで。でも普通に歩く時は普通に地面を踏みしめてます。関節が固まっているようではなさそう。
鼻先も未発達なのか短いです。口も本当に微妙に閉じてない様子。
フリフリしても餌への関心があまり無いのか、嫌なのか首をゆっくり振りながら後退り。冷凍赤虫の水気を取り鼻先に付けないように位置を調整しつつ口元にくっつけて軽く揺すって様子見。鼻先を床に擦り付けてイヤイヤをしますが位置の微調整などをしつつ根気よく付き合うとなんとか食べてくれる感じ。
でも昨日は脱皮の前日だったようで食べず。今日も脱皮後だからかケージを洗ったからか食べず。
脱皮前とケージ掃除後は食欲が無くなる子はいますね。ケージ掃除は移動によるストレスか環境が綺麗になり変化したことで環境に慣れていないからか。
おそらくは明日は食べるでしょう。
なんとか餌は食べてくれていますが、なかなか難儀ですね。
正直、このまま飼育を続けていく自信はないですね。手間と労力がかかり過ぎる。主に精神的な負担として。
しばらくは様子見ですが、安楽死という人為的淘汰も選択肢としては視野に入れています。
話は変わり、自分が思う飼育について、少し書きます。
生き物を飼育する、命に責任を持つ、という事は最後まで面倒を見る、という綺麗事で全て丸く収まるわけではない、と自分は考えています。
飼育自体、どう足掻いても言い繕ってもエゴですから。その中でどう命と向き合い、更に自分との折り合いをつけていくか。
残念ながら命は平等ではありません。人が思う命の価値、には各々の主観しかない、と思います。
あくまで人生を歩んでいるのは自分自身ですから、ペットの命も大事ですし大切ですが、優先度としては自身の生活や生命よりは下がります。
自らの人生の中でどうしても飼いきれないということも何度も出てくるでしょう。その時に正しいやり方でペットを手放すという選択肢を取ることも飼育者としての責任の取り方のひとつだと自分は思っています。その手放し方で取れるものが人への譲渡やショップ・保健所などへの引き渡しなど。
そして、どうにも出来ない場合の最終手段として自分の手でその命を終わらせる事も正しい責任の取り方のひとつとしてあると自分は思います。これを犬猫などでやってしまうと問題になるのでアレですが。
自分の思う正しい手法を取ることが自分なりの責任の取り方であり、命との向き合いですね。
自分の中で間違いだと思うものは、手に負えなくなったから他人に押し付ける、外に捨てる、飼育放棄をして死なせる、ですかね。虐待はもってのほか。これらをするくらいなら自らの手でその命を終わらせて、自身の決断への後悔や迷い、重さをきちんと背負う方がマシですね。
長々と書きましたが、この子に関しては手間がかかる以上、他の人に譲る事はしたくないですね。
この子にとって何が良いのか。その、良さ、というものを判断しているのは自分自身であって、この子意識ではないですからね。生きたいと思う事が生き物の本能なのだから可能な限り最期まで生きさせる方がいい、という考えも所詮は人が思う意見ですから究極的にはエゴの範疇なのではないかと思う今日この頃。
だからこそ、自分なりに調べ、悩み、考え抜いて出した自分の思う正しさ、を貫くことが飼育に対するひとつの正解、姿勢なのだと、自分は思います。
以上!